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孤独とつながり

 孤独とは何なのでしょうか。1人であることでしょうか。1人であることだとすると、1人であるということがどういうことなのかを考える必要があるでしょう。今の社会では、人が1人で生きていけるほど、人は強くないはずです。つまり、どんなつながりであれ、必ず誰かとつながっています。そのため、1人であるということを安易に言うことはできないのかもしれません。1人であること、これをより僕なりにより詳細に定義してみます。1人であることはできませんが、1人であると思うこと、感じることはできるでしょう。そして、1人であると感じながら、それが孤独なことであると関連付ける人、これこそが孤独感なのではないでしょうか。つまり孤独とは実際には存在していない人の気持ちなわけです。(存在していないけれども、しているといったほうが良いかもしれません)

 

 そもそも孤独を感じるのはいつでしょうか。多くは、仲の良いものとの別れ(一瞬の別れや永遠の別れなど)の後ではないでしょうか。友と別れたあとは何か心のなかから抜けた気分がします。いまはSNSなどで別れが希薄になったのかもしれません。それでも感じずにはいられないのは、私がSNSが苦手なことの他に、直接会うことの安心感、ここちよさのようなものがとても多いからではないでしょうか。携帯電話がなかった昔、人々はどのような気持ちで過ごしていたのでしょうか。別れが当たり前であり、その別れが突然永遠の別れになりえた。そんな時代の人々、孤独を感じていたのでしょうか、それよりも悲しみを感じていたのでしょうか。それとも一期一会を大切にすべての出逢いと別れに喜びを見出していたのでしょうか。様々な人々がいたことでしょう。

 

 今の時代は、物理的に一人になることはほぼ不可能です。ですが、逆に人生の一つ一つにありとあらゆる人々が関わりすぎて、誰も認識できないようになってきている気がします。例えば、一つのパンができるまでありとあらゆる工程を踏んでいます。其の工程ごとに働いている人々がおり、パンを食べる時その人達のことなど頭には浮かびません。何も問題はないのですが、パンを販売している人のことすら知らないということにもなっています。つまり、つながりの糸はたくさん出ているのですが、そのどれもがあっさりと切れてしまうのです。切れはしないから、この表現は少し違うかもしれません。どれも切れはしない、でもどの糸もほとんど私たちには見えておらず、手繰り寄せることができない。こちらの表現のほうがあっていますね。

 

 

ーーー話したいことーーー

自分の夢が少し見えてきた気がする。それは、誰かの夢の手伝いをすることだ。ほんとに一生懸命に、そして楽しそうに夢や好きなことについて語っている人はとても素敵です。僕は話を聞いているだけで、引き込まれてしまい、癒やされます。微笑まずにはいられません。僕は何もしていないのに、何か心地よくなっちゃうのです。羨ましくも思います。自分には今のところ、そこまで熱中することがなくて自己嫌悪してしまうこともなくはないです。ただそれ以上に、話を聞いている時、がんばれって、できることはやってあげたいなって、思わされちゃうんですよね。ただそういう時、手伝えることってあまりないのかもしれません。だから僕はホントに助けを必要としている時に手を差し伸べられる人になる必要があるのです。