たかが、されど

 世の中すべてのことに対して、たかが~といえるのではないでしょうか。しかし、その次に来る言葉は、されど~、となるのだと思います。何事についても私自身が関わることは広大な宇宙の中では非常に小さなことになります。地球規模のことでさえ小さなことであると言えるのではないでしょうか。しかし、それと同時に私にとってそれがとても大きなことであり、たかがなどとは言っていられないことのようにも思えるのです。

 たかが人生、されど人生。たかがであることは確かに理解できる。でも本当に心からたかがと思えるのかというのが問題です。今の私には思えません。されど、というより、やはり私の人生なのです。だから、存分に満喫したいし、やりきったと思えるような生き方(どんな生き方をすればそう思えるのでしょうか、そんなことを考えながら生きている時点でそんな生き方はできないのかもしれません)をしたいと思うのです。

 

たかがということを知ることで、されどということがとても重要に思えてくるような気がします。人生って大変だと思うこと、と、たかが人生ではあるけれど(されど)この人生って大変であるなと思うこと、とには大きな差があるのではないでしょうか。

何が違うのか、それはあまりよくわからんのですが何か大きな差があるように思わずにはいられないのです。

 

 

ーーー話したいことーーー

 できないことをいくら嘆いたって仕方がない。私たちにはできることしかできないのだから。では何が大切であるか。一つは、やること。とにかくやるのである。もう一つ大切なことがある。それは、できることを見つけること。できることはできることであるくせに、もともとできるとは知らないものがある。できないことを見つけるのは案外簡単だ。なぜなら、やりたいことを一番簡単に最短距離でやろうとすると大概できないことがでてくるからだ。その時にできないことを嘆くのではなく、どうすればできるのかというできることを模索することが大切なのではないだろうか。