市場と体の類似点

 私が経済学の入門レベルを学んでいるためかもしれないが、経済学には市場という概念が欠かせない。(おそらく、どれだけハイレベルになっても欠かせないだろう。)市場、特に完全競争市場と呼ばれる物の価格がある経済主体によって変化させられない市場では社会的余剰が多くの場合最大になる。(社会的余剰が最大になったからといってみんなに余剰が配分されているわけではない。どうして最大を求める必要があるのだろう。そりゃ、死荷重がでるのはわかるけど。。。)この時、多くの場合最大になるというのが重要で、ある特定の場合には最大にならない。このことを市場の失敗という。つまり、どれだけ優れたシステムに任せていようとも失敗する時は失敗するのである。(市場経済が優れたシステムなのかは他のシステムが今のところほとんどないことからわからないだろう)失敗したときに登場するのが政府である。政府が市場にある規則や税をかけることで市場の失敗を正そうとするのである。しかし、この処方が常によい結果をもたらすとは限らない。

 

 このようなことを学んだ時、僕は、こういう状況ってよくある気がする、と思った。例えば、人の体である。人の体は大変優れていて、消化、九州、治癒、その他あらゆる行為を自然と行っている。非常に優れたシステムであると言えるだろう。しかし、人の体だって失敗する。一番わかり易いのは花粉症である。必要のない過剰反応により必要のない鼻水、鼻詰まりをおこし、人体に悪影響をもたらすのである。これは、このシステムの失敗と言える。失敗した時、私達は病院や薬局でこの失敗に対して処置をほどこす。体のシステムの異常な部分をもとに戻そうとするのである。しかし、この処置が常に良い結果をもたらすとは限らない。間違った処置をしてしまうこともあるからである。

 

以上のように、多少無理くりではあるけれど、とても似た流れが見いだせる。だから何だよって言われても、うーん何かおもしろいじゃん、としか言えないのが残念である。おそらくであるが探せばこのような関係のものはいくらでも見つかるのではないか。類似点が見つかったからどうなるわけではないが、新しい方法が思い浮かぶかもしれない。ある分野では類似点に続く道があるかもしれない。もしあれば、その道をたどれば新しい発見があるのかもしれない。そう考えると少しワクワクしてこないだろうか。

 

 

ーーー話したいことーーー

 坐禅にいってきた。とても気持ちよかった。何が気持ちよかったのだろう。まず朝から行っているものにいったため、朝の空気が気持ちよかった。そして、坐禅中の静けさが気持ちよかった。また、坐禅後の帰り道がただ歩いているだけであるのに気持ちよかった。とても幸せな時間であった。ただ、その後早起きしたツケが回ってきたのだろう。とても眠くなり憂鬱になった。うーん、なんだかな~である。もう少し早く寝て、坐禅に行くことを誓いながら、本を読んだりしているとなかなか布団の中に入れない自分がここにいる。