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特別であること、普通であること

   人はどうして注目されたいのか。私も何かで注目されたいと思うことがある。今は、あまり思わなくなってきたのだけれど、小学生や中学生のときになどはみんなから注目されるのがとっても嬉しくて、様々なことを積極的に取り組んだ覚えがある。他の人とは違う、特別でありたいと思っていたのだと思う。
 
人は普通であることを求めながら、特別であることを求めている。なんて不思議な生物であろうか。周りの人と変わっている人を普通でないと非難し、おかしいとまで言う人がいる。一方、私達がだれかを褒める時の、すごいね、並外れている、天才だ、などという言葉は普通ではないことを表している。つまり、特別であることに対して多くの人は喜びを感じられるのだ。これはどういうことなのか。一方で普通であることが良いことであるように言いながら、もう一方では普通でないことを意味する言葉で褒め合う。つまりは、その人にとってある点では、特別でありたくて、ある点では普通でありたいという願望があるということなのではないか。私が思うに、それを分けるのは、自信の有無だ。自信のあることなら、特別でありたいが、ないことに関しては特別であるということは普通であることよりも下側にいるという印象を受けてしまうため、それなら普通に収まっておきたいということだろう。
 
そもそも特別であるとか普通であるとか考える必要はないのかもしれない。なぜ特別や普通といった考えが出てくるのかを考えてみる。人間は皆、特別な存在である。つまり、ひとりひとりが異なる存在(特別)なのである。みんなが特別であるということは、特別であるということが当たり前(普通)であるということになる。つまり、この点から私達は普通なのである。以上のことより、私達はみな特別であり、みな普通なのであるから、特別や普通等といったことを考える必要はないだろう。
 
 
ーーー話したいことーーー
今回は、特別や普通について自分の思っていることを書かせてもらいました。ただこの考えが、論理が正しいのか。自分ではあまり良くわかっていません。なんとなく自分がこう思うことを書いただけなのです。正しいとか間違っているとかはわかりませんが、やっぱり何かについて自分で考える事(もちろんそこには他の方々の考えが含まれているわけですが)は楽しいことなのだなと思いました。しかし、常に考えているのはしんどいことであり、心がとっても疲れる行いであるとも感じたのでした。何事もほどほどにということですね。