何のために生きるのが良いのでしょうか

  僕らは何のために生きているのか、生かされているのか。僕にはちっともわからない。分かる人にはわかるのだろうか。かといって、何もせずに生きるのも折角もらった命であるのでもったいない気がする。ただ死ぬのが怖いから生きるという考えもある。死ぬのは怖い、でもそれだけのために生きているのかと、自分に問うと、そうではない、と返事してくる。死ぬのは怖いが一瞬のことだから、それだけなら乗り越えられると思う。

 ではなぜ、生きるのか。もう一つ、思い浮かぶのは、死後の世界がどうなっているのかわからないことだ。もし、死後の世界がどういう仕組みになっているかわかっていればどうだろう。例えば、死んだらどんな人もとっても幸せになれると知っていれば、多くの人は自殺するのではないか。例えば、死後の世界は現世より数十倍苦しいことがわかっていれば、必死に生きるのではないか。どちらにせよ、わからないのであるから怖れが生まれる。少し話は脱線するが私達の選択はなんでもこれと同じである。つまり、どんな選択をしても必ず不確実性が存在しており、そこには不安や恐怖が生まれてくるのである。怖くて動き出せないものもいる。というかみんな何かをすることを恐れている。(たとえそれが他人からみれば恐るに足らないものであっても)

 話を戻すが、死後の世界がどうなっているのかわからない。そこから不安が生じ、自分から死ぬ選択ができない人は多いと思う。その恐怖に打ち勝てないために(打ち勝つ必要は別にないのだが)、多大な不満はあれど現世をなんとか生きている。だけれども、私は本当にこんな生き方だけなのか。もし、そうだったとして、このままでいいのか。どうせ生きるなら、生きたいから生きるという選択をしたいではないか。

 どうすれば、生きたいから生きるという選択をすることができるだろうか。生きたいと思うには、生きる目的、理由のようなものが必要だ。全人類の生きる目的となるものがこの世にあるだろうか。実際にはあるのかもしれない。しれないが、私は今そのような目的をしらない。全人類にフィットする普遍的なものがないのならば、個々人にフィットする目的を見つけるしかないだろう。

 もし世界に神様がいて、その神様が生きる目的を教えてくれるならそれにそって生きれば良い。世の中には神様の声が聞こえる人がいるのかもしれない。そこは否定しない。しかし、私は未だそのような声を聞いたことがない。だったら自分で考えてゆくしかないだろう。自分の人生の目的を自分で考え、その目的が本当に自分の人生の目的たるのかを一生を懸けて検証していかねばならない。その時思っている人生の目的をひたすらに実行していく。もし違うと思ったなら変えればいいだけの話。

 ここから、他人の人生を自分が選んではならない、という話につなげたかったのだが、あまりにも無理くり過ぎて自分でもどうかと思ってしまった。しまったのは確かであるが、けど言いたいので言っておく。他人の人生を自分が選んではならない。自分にできることは、提案することだけである。いくら自分が正しいと思っていても、相手から見ると正しくないのだから、無理に押し付けるのは間違いなのだ。

 結局何が言いたいのかだけ言っておくと、自分の生きる目的は自分でしか決めてはならない(神様から教えてもらえる人以外)ということだ。

 

 

ーーー話したいことーーー

 家のリフォームを行っている。リフォームと言っても家族だけで行うDIY(Do It Yourself)ってやつである。(昔DIYのことを大工って意味だと思ってました^^;)肉体労働が多いので、リフォームを進めた日には体がへとへと。身心ともに疲れてしまう。(身心と心身どちらがよいのでしょうか)疲れてしまうのは嫌なことなのだが、その日の入眠のしやすさといったら、高級なお肉のように自然と溶けてゆくような感じなのだ。(比喩表現を使いたかったので使ってみたがなんだこりゃ笑)

とにかく気持ちよく眠れる。これは経験談であるのだが、失恋などによって精神がおかしくなってしまったら、タバコ、暴飲暴食などに頼らずただ体を動かしまくるのがよい。疲れ果てた体ではうまく考えられないし、目覚めると心身ともに少し元気になっているのだ。精神だけが以上に疲れ果てた時は、とかくだめな方へだめな方へ思考が流れてしまい、自分の存在理由がわからなくなったりするものである。そんなときは考えず、とにかく体を動かすのだ。動かすのだー。そうすれば少しはマシになる。私の体験談であるから、保証はできません。